名護市とは

沖縄県北部の名護市は東シナ海に面していて、山と海に囲まれた恵み豊かな土地です。

昭和45年に名護・屋部・羽地・屋我地・久志の5つの町村が合併して生まれました。面積は210k㎡、沖縄全体の総面積2,275.78k㎡の約9%を占めていて、竹富町と石垣市の次に大きい面積になっています。

昭和45年からの名護市の人口の推移としては昭和45年の時点で4万3千人、平成23年でちょうど60万人を超えています。

名護市の市章は、名護市の「な」の字に鳩が飛び立つさまをイメージして作られました。青緑のカラーリングは自然の中で豊かな人間性を養ってほしいとの願いが込められています。

そして名護のシンボルは6つ、「ガジュマル」「スイジガイ」「コノハチョウ」「シロギス」「テッポウユリ」「カンヒザクラとリュウキュウメジロ」です。

●名護市民の憲章

沖縄の北都に住む私たちは、名護市民としての自覚と誇りを持ち、恵まれた自然の中で人間性豊かな市民となるため、この憲章を定めます

◇ 私たち名護市民は人間を尊び、すべてに広い心と豊かな愛情で接します。

◇ 私たち名護市民は自然を愛し、文化財を大切にします。  

◇ 私たち名護市民はいたわりあって健康な生活を築きます。   

◇ 私たち名護市民はきまりを守り、社会を明かるくします。

◇ 私たち名護市民は伸びゆく力を育て、未来へ前進します。


名護市の詳細情報

名護市に隣接しているのは、本部町・今帰仁村・大宜味村・東村・宜野座村・恩納村の6つの町村です。

名護市役所庁舎は独特な外観になっていて、夏場でも暑くないように冷房を使わず、自然換気の方法で涼しくなるようにしています。ですが、最近の住民から冷房を取り入れてほしいという要望があったため、今は冷房を稼動させているそうです。

名護市庁舎へのアクセス

〒905-0014

沖縄県名護市港1丁目1−1

0980-53-1212

名護市は有名人も何人かいるようです。女優の黒木メイサや芸人のパッション屋良、ゴルファーの諸見里しのぶ、政治家の徳田球一、上原典子元アナウンサー、漫画家の大城ゆかなどです。

今までの歴史については14世紀頃、今帰仁城を中心に栄えた北山の一部となり、中国との貿易を行っていたそうです。

明治からは、那覇からの輸送、人員の移動の中継地となり、商店街ができてきます。昭和20年3月、米軍の空襲で壊滅状態になります。 戦後には、現在の名護市の骨組みが出来上がり、琉球セメント、北部製糖、オリオンビールなど、工場の建設がピークになりました。

市街地や幹線道路沿いに商店などが立ち並ぶようになり、昭和50年、沖縄海洋博覧会が開催、石川~許田に沖縄高速自動車道が作られます。

北海道日本ハムファイターズが昭和54年に名護市で春季キャンプを始めます。しばらくすると北部看護学校、名桜大学、工業専門学校ができ、教育の町としても知られるようになりました。